尊敬する父に感謝

こんにちは!土井工務店の坂口よしき(@jmn.koy)です!!
大阪市都島区でリフォーム/リノベーション専門店で日々奮闘しております。

今回は僕の幼少期を少しお伝えし、この前 父と食事に行ってきましたのでその時のことを書こうと思います。

目次

幼少期の坂口少年の家族生活

みなさんは晩ご飯は誰と食べていましたか?
家族みんなで食べてますか?仕事で帰りの遅いお父さんは別で食べますか?はたまた両親は共働きで兄弟と食べていますか?
僕の場合は少し変わっていて、両親は共働きでお姉ちゃんとお兄ちゃんは僕が小学校3年生の時には習い事や部活動で帰りが遅かったため、お母さんが作り置きしてくれているご飯をレンジでチンして一人で食べる生活が小学3年~24歳くらいまで続いたと思います。

社会人になって友達の家で晩ご飯をごちそうになる機会があり、友達の部屋からリビングへ向かうと家族全員が食卓で待っていました。僕は晩ご飯を家族みんなで食べるなんてのはドラマだけの世界だと本気で思っていたので本気で驚きました。とはいえ友達の家が特別なだけで他の家庭は僕と同じような食卓だろうと思い友達に聞くとみんながみんな晩ご飯は家族と食べている家庭がほとんどでした。

それほどまでに僕は家族とご飯を食べる機会がなく育ってきた幼少期でした。

僕の夢を叶えるために必死に働いてくれたお父さん

家族と食卓を囲んだ経験がない僕ですが、お父さんお母さんは今でも大好きです。
それは両親が僕のことを大切に思ってくれていることが凄く伝わってきていたからです。
僕が高校2年生の時に教育大学に進みたいから塾に行きたいと言った時、おそらく家にお金に余裕がない状態だったのですが僕のお父さんはなにも言わずに仕事終わりに飲食店のバイトを始めていました。

毎日毎日仕事から帰ってきて早めに晩ご飯を食べた後に「じゃあよしき、バイト行ってくるわ」と言って出かけていました。「塾に行かすために頑張ったてるんだぞ」とは一切言われたことはありません。「50代からバイトするって結構しんどいねんな(笑)」と深夜2時くらいに帰ってきては明るく笑いながら話してくれていました。

そんな父を見て僕は「自分が大人になってお父さんほど働かれへんと思うわ。ありがとう」と言った時がありました。
お父さんは緊張の糸が切れたように「そう言ってくれるだけで頑張ってる価値あるよ。ありがとう」と目に涙を浮かべて喜んでいる姿を僕は今でも鮮明に覚えていますし、そんな父を心から尊敬しています。

20代は感謝しつつも遊んでばかり

両親には育ててもらった感謝こそあれど、親孝行と言えることはいままでほとんどしてこれていませんでした。
僕自身まだまだ遊びたい気持ちが先行する年頃だったので、両親にお金を使おうという考えや行動に至らなかったのが当時の心境でした。

30代になって感じる家族のありがたみ

30代に入ってお母さんが体調を崩し手術をすることになった時に、僕は初めて両親にお金を出さないとなと感じました。
ただ、遊びほうけていた僕には貯金がなくお金の工面をしてあげることはできませんでした。
お母さんの手術がキッカケで僕は家族を大切にしないとなと強く感じるようになりました。

そして今回、人生で初めて基本給とは別で報酬(インセンティブ)と言える額の報酬をもらうことができたので、今までの感謝の意味も込めてお父さんを食事に招待しました。



久々に会うお父さんは少し身長が縮んでいました。足取りも昔ほど軽やかではありませんでしたが、気さくで明るい性格は健在で終始楽しく酒を酌み交わし今までの思い出や近況を伝えました。

締め:息子は親父の背中を見て育つ

先ほども書きましたが、僕が高校生の時に「自分が大人になってお父さんほど働かれへんと思う」と当時言ったことをお父さんも覚えていて「お父さんも学生時分の時におじいちゃん(僕のお父さんのお父さん)に同じことを思っててさ。あの時はほんまに嬉しかったなぁ」とその時の心境を語ってくれました。

僕が父を尊敬しているように父も自身の父を尊敬している。
僕に将来子どもができた時に同じように思ってもらえるためにも、今の仕事に懸命に打ち込んで自分に胸を張れる父親にならないとなと強く感じた食事会となりました。


無料相談/お問い合わせはこちら

無料相談/お問い合わせ

 

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

参考になった方はシェア宜しくお願いします
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次