起業当初の大阪のベンチャー企業の実態と今

起業当初の大阪のベンチャー企業の実態と今

こんにちは土井(@takeshidoi73)です。
大阪市都島区でリフォームリノベーション専門店と土地建物の買取/再生の事業をしています。
大阪のベンチャー企業として毎日、いつか日本を代表するような”地名に名が残るものを作る”という思いから人生をかけて事業を行っています。

起業当初、めちゃくちゃな思いでとりあえず法人化して、株式会社にしたなということを思い出しました。
創業当社は、別事業として物販業をしていたので、社名を妻の誕生日を使って株式会社store39にしましたが、物販業は参入障壁が低く、面白くない、商品開発やOEMは別として、簡単な中抜きや転売事業であれば、誰でもできてしまうという部分があったため、僕はすぐに飽きてやめました。

今は、土井工務店つまり建設業一本と新規事業予定の不動産事業(現在、宅建業の申請中)で、建設業を軸に不動産事業が支えるような体制で会社を経営していきたいと考えています。

しかし、今思えば個人事業主から法人化するきっかけはあまりに早く無計画で行ったなと思います。
金無し、コネなし、人脈なし、スタッフ0、初期費用としてあったのは家族が持っている総資金300万円のみという状態からスタートしました。

最初は会社の所在地は自宅兼事務所で、今のようなかっこいいオフィスなんてありませんでした。
大阪の某信用金庫さんには口座の開設は断られ、口座開設もできない、インターネットバンキングでしか口座を持っていない、従業員も誰もいない、固定電話、FAX、何もない、打ち合わせの椅子もない、車も社用携帯、インターネット回線もない、あるのはパソコンと身体のみ、みたいな状態で始めましたね。

それでもどうにかして成功したい、どうにかして大きくなりたいという思いから、自分のビジョンを決めようと考えました。

その際に思ったのが、僕は柔道ではオリンピックに出場できず世界に名前を残すことができなかったから、事業でまず”地名に名を残すものを作ろう”これで僕は柔道では世界に出れなかったけど、まずは国内で名前が残すそれが最初の僕のスタートと決めました。

浅はかな思いでしたが、今では着実に一歩ずつ前に進んでいます。
さて、そんな僕も事務所を開設した時は感動したのを今も覚えています。
それと同時にお金が一切なくなったのも覚えています。

あの時は家に帰れば、小さな赤ちゃんの息子もいてお金が無くて妻にも苦労と心配をかけた日々でしたが、なんとか必死に頭を下げて、仕事だけはできます!と言って、年末の12月29日まで飛び込み営業やテレアポをしていたのを今も覚えています。

今でこそ仕事は3ヶ月先まで心配することなく継続してありますが、創業当初は不安と混乱、分からないことだらけでした。
今、次の課題はやはり人材と採用ですが、大阪のベンチャー企業としてまだまだ土台を固めることを最優先に上を目指していきたいと思います。

僕たちは会社という檻の中で餌(お客さん)をあげられ、稼いでると勘違いしている人たちではなく、少なくとも自分の力でお金を動かしている!そういった思いで、仕事をしています。

ということで、今後の自分の未来に乾杯したいと思います。
それでは時間を大切に良い1日を!

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